アメリカコロラド州のデンバーに総本部を置くE心會舘。
館長は「空手界の貴公子」と呼ばれた元・極真の全日本王者で、
「地上最強のカラテPART2」ではこの館長を中心に撮影され、
「空手バカ一代」の中では、故・A原館長について
喧嘩十段の技(サバキ)を身に付けたN宮師範。
初めて会った時は芸能人を見てる様な感じだった…。
N宮師範に入門の旨を伝えた時、
「最初は体験練習で入門を判断したらどうか?」
との事だったが、その場で入門を即決し白帯から出直した。
しばらく練習をして初めての昇級審査…。
空手の審査では、まれではあるが飛び級と言って、
級を飛ばして帯を貰える事がある。
当時、飛び級をした者は全米最大の空手大会であった、
サバキチャレンジという大会に参加できるレベルまで、
駆け上がる人が多かった…。
ある意味、N宮館長に目をかけて貰ったんだから、
E心會舘の名前を背負った大会で優勝を死守する!
そう言った意気込みの人が多かった。
そんな仲、自分は飛び級をさせて頂いた…。
そしてサバキチャレンジに出なかった初の人間になった…。
内弟子の人からは初めてN宮師範を裏切ったヤツと
言われた事もある…。
自分がE心會舘にいた時、
北斗の拳のラオウの様な先輩がいた…。
その人は自分が強くなる事のみを追い求め、
練習の組み手の時は相手が誰だろうと100%の力で
戦う…そんな先輩だった…。
身長が140cm前後の白帯の女性が相手でも手に抜かず、
その子はローキック一発で、体が宙を舞って
頭から床に落ちて失神した事もある…。
この先輩が恐ろしく、本部道場の門下生が、
一気に減少した時代だった…。
ある支部長が総本部の内弟子時代、
この先輩と組み手をして顎を骨折した。
その後ギプスが取れて流動食じゃ無くなったと言ってた、
そのすぐ後、また顎を骨折した…。
その時、某支部長は顎を骨折させられても一歩も下がらず、
また3年の内弟子修行を完遂をさせた剛の者だ。
そして自分は…
事実上逃げた側の人間だ…。
道場を抜け出したいという気持ちと、
当時、大学に就職をする事が決まり、
上司と一緒にいる方が有意義に感じた事もあるが、
練習は一週間に一度になり、二週間に一度になり、
月に一度になり、二ヶ月には一度になり挙げ句の果てには
N宮師範から「忘れた頃にやってくる様になったな」と
言われるまでになってしまった…。
こうなってくると、最後は月謝は払っていたが、
所属してる事になるのか分からなくなり、
自分の空手歴はあやふやのままになってしまった…
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