元全空連G柔会会長 故・M利師範

自分が空手を始めたのは、
後に全空連G柔会会長になった故・M利師範の元だった。

今、道場はビルの2階にあるのだが、
当時は平屋で師範のやっているM利歯科の奥にあった。

子供の頃からズッと公私ともにお世話になった方で、
出張の多かった親父と、良く飛行機が一緒になったらしく、
家族共々仲良くさせて貰いました。

 

空手をされてる方はよく知っていると思うが、
伝統派と呼ばれる空手と極真空手はそんなに仲が良くない。

コレは伝統派の空手が世界大会で優勝を他国に取られ、
「あんなのは本当の日本代表では無い!」と
故・大山総裁が発言された事が決定的となった。

大分の全空連はウチの道場が中心だった事も有り、
自分は少年部で小学生だったが、
道場では先輩連中が極真の悪口を言ってたのを覚えている…。

極真の大会告知で電柱や壁に違法の張り紙をする辺り、
武道精神に反してる等の悪口だった…。

 

そんな自分が20歳でアメリカに渡ったとき、
コロラドにはG柔流が無く、M利師範に相談した時、
G柔流にこだわる必要は無い。と言われ、
自分の空手を探し続けた…。

その時に、流派間の嫌な対立を見せられ、
悩んでた時、元極真空手の全日本王者であった
N宮館長の元で学び直す事とした。

フルコンタクトを学び、 空手の技術について、いろんな事を感じた…
フルコンタクトはタダ当てるだけでは無いと言う事を痛感した…。
空手を何年もしてて、こんな初歩的な事も
気が付いていなかったのかと、自己嫌悪に落ちる事もあった…。

そんな自分だから、極真をはじめとするフルコンタクトに
敵意は全く持っていないし、むしろ同士として敬意を払っている。

そしてアメリカから日本に戻った時、
M利師範に挨拶に行くと、既に他界されていた…。

息子のM利先輩に聞くと、病院のベッドの上で手だけ動かして
空手の練習をする様な、本当に空手の好きな人だった…との事…。

M利先輩はそれを見て、自分がそこまで空手を
突き詰めて出来ないと悟り、
結局M利先輩は道場を継がなかった…。

自分がW会やE心會舘で練習をしていたのは
M利師範しか知らない…。

ヒョッとしたら先輩連中で、W会はともかく、
極真の分派であるE心會舘に籍を置いてた事を
非難する人もいるかもしれない…。

M利師範が「自分の空手を…」と言ってくれたのを
聞いてたのは自分しかいないので、
何を言っても言い訳にしかならないだろう…。

世の中から流派が消えれば良いのに…と思うが、
無い物ねだりなんだろうな…

そして、色々考え、悩んだ結果、息子は極真会に預けた。
後は息子が判断すれば良いだろう…



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おっ父の空手ヒス-大学生(2)

アメリカコロラド州のデンバーに総本部を置くE心會舘。

館長は「空手界の貴公子」と呼ばれた元・極真の全日本王者で、
「地上最強のカラテPART2」ではこの館長を中心に撮影され、
「空手バカ一代」の中では、故・A原館長について
喧嘩十段の技(サバキ)を身に付けたN宮師範。

初めて会った時は芸能人を見てる様な感じだった…。

N宮師範に入門の旨を伝えた時、
「最初は体験練習で入門を判断したらどうか?」
との事だったが、その場で入門を即決し白帯から出直した。

しばらく練習をして初めての昇級審査…。

空手の審査では、まれではあるが飛び級と言って、
級を飛ばして帯を貰える事がある。

当時、飛び級をした者は全米最大の空手大会であった、
サバキチャレンジという大会に参加できるレベルまで、
駆け上がる人が多かった…。

ある意味、N宮館長に目をかけて貰ったんだから、
E心會舘の名前を背負った大会で優勝を死守する!

そう言った意気込みの人が多かった。

そんな仲、自分は飛び級をさせて頂いた…。
そしてサバキチャレンジに出なかった初の人間になった…。

内弟子の人からは初めてN宮師範を裏切ったヤツと
言われた事もある…。

自分がE心會舘にいた時、
北斗の拳のラオウの様な先輩がいた…。

その人は自分が強くなる事のみを追い求め、
練習の組み手の時は相手が誰だろうと100%の力で
戦う…そんな先輩だった…。

身長が140cm前後の白帯の女性が相手でも手に抜かず、
その子はローキック一発で、体が宙を舞って
頭から床に落ちて失神した事もある…。

この先輩が恐ろしく、本部道場の門下生が、
一気に減少した時代だった…。

ある支部長が総本部の内弟子時代、
この先輩と組み手をして顎を骨折した。

その後ギプスが取れて流動食じゃ無くなったと言ってた、
そのすぐ後、また顎を骨折した…。

その時、某支部長は顎を骨折させられても一歩も下がらず、
また3年の内弟子修行を完遂をさせた剛の者だ。

そして自分は…
事実上逃げた側の人間だ…。

道場を抜け出したいという気持ちと、
当時、大学に就職をする事が決まり、
上司と一緒にいる方が有意義に感じた事もあるが、
練習は一週間に一度になり、二週間に一度になり、
月に一度になり、二ヶ月には一度になり挙げ句の果てには
N宮師範から「忘れた頃にやってくる様になったな」と
言われるまでになってしまった…。

こうなってくると、最後は月謝は払っていたが、
所属してる事になるのか分からなくなり、
自分の空手歴はあやふやのままになってしまった…



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おっ父の空手ヒス-大学生(1)

ひょんな事からアメリカのコロラド州に行く事になった。
そして大学の体育のクラスで選択の中に空手があった…。

道着も持っていない空手を知らない初心者が、
週1回3ヶ月チョイ空手で体を動かす事で、
単位を貰える…。

正直言って自分にとっては簡単に単位を取れるので、
TAと言うアシスタントを引き受けて受講した。

そこの師範は自分の学んでたG柔流では無く○会だったのだが、
他流でも良いので○会の大会に出てくれと言われ
何度か大会に参加させてもらった。

自分は初段だったのだが、大会の上位に行くので、
フェアウェルパーティー等で人に紹介される時は
「almost 2Dan(ほとんど二段)」と誤魔化されてました(^^;

日本に戻った時、自分の師である、
全日本空手道連盟G柔会会長のM利師範に、
コロラドでG柔流空手をやりたいけど、
G柔流が無く大学が○会と繋がりが有り、
お世話になってると話をした。

「他流派の勉強して自分の空手を見つめ直すのも
良いんじゃ無いかな?」
と言うのがM利師範の答えだった。

自分はアメリカの空手事情はよく分かっていないのだが、
指導してくれた師範はかなり有名な師範だったのだろう…。

日本からお客さんがアメリカに来る時は、
この先生の所に寄って帰る感じだった。

ユーチューブなどで検索をかけると出てくるが、
型の達人であるS久本先生とお逢いした時は嬉しかった♪
S久本師範

自分の型も見てもらったが、
力強さが足りない。もっと筋力を付ける様にと
アドバイスを貰ったのを思い出す…。

しかし…色々あり…○会の師範の元を離れた…。

いきさつは公にしたくないのだが、
我々の回りではかなり問題になった。

何か気が付かない所で失礼があったのかと思い、
その場にいた人に、自分は何か失礼な事をしたのか聞いても、
誰も分からなかった…。

後日「私は前からこういう所があって悪かったと思ってる。」と
いう趣旨の謝罪があったので、コレまでの事は水に流したが、
コレからは、距離を置いてかかわりを持たないようにした…。

この件で、自分は空手そのものが嫌になり、
空手を辞めようと思った時期だった…

そんな時に、自分の事を聞いたE心會舘の内弟子の人が、
「空手が好きなら道場に遊びにおいで」と声をかけてくれた。



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おっ父の空手ヒス-高校生(2)

高校三年の時、大分県の強化選手に任命され、
九州大会、全国大会の経験をさせて貰った…。

しかし、九州大会の帰りのバスの中で、
空手そのもの…と言うか…哲学というか、
奥深さというか…悩みに陥る事となる…。

当時の大分舞鶴高校は日本文理大学(NBU)の空手部の
稽古に参加させてもらう事があった…。

当時のNBUの空手部は結構強かった…。
先生が良かったとの話もあるが、
当然、その先生の空手理念を教わる事になる。

空手理念の多さ…それが空手の流派を増やす要因と
自分は考えるが、このことは自分の空手人生の中で、
大きなテーマとなってしまった…。

九州大会…その時は鹿児島での大会だったが、
鹿児島から大分までバスで片道8時間の時代…。

バスの前から怒鳴り声が聞こえた…。

どうやらNBUの監督とG流空手J武館T道場のK宗師範が
喧嘩を始めた様だった…。

きっかけは「空手における拳の握り方」…( ˇ_ˇ; )

本当にこの二人は空手バカ…もとい!
…根っからの空手好き何だなと思った…。

NBUの監督は今の空手はスピード勝負なので、
拳は握らずボクサーがシャドウボクシングする感じの方が
試合には勝てる!と言う理論の方…。

K宗師範は拳を開いて相手にあてるヤツがいるか!
当たる瞬間、力を込めるべきだ!…と言った主張だった…。

はっきり言って両方正しい…。
試合では拳を握らない方がスピードが出てるし
寸止めならば当たる瞬間拳を固めてスピードを落とす必要も無い…。

しかし、あてる前提で考えると間違いなく拳を壊す…
ボクサーが素手で殴ると骨折しやすいというのは
そこらが大きい…。

自分はNBUの練習にも出てて、町道場でK宗師範は
自分の師であるM利師範の一番弟子だから、
二人に挟まれ、あやふやな返送するしか無かった…

あまりにも気まずく、居心地が悪かったので
たまたまバスが自宅の近所を通ると言う事で、
途中で卸してもらって逃げた覚えがある…。

この辺りから、流派の考え方の違いというのを
意識し始め、特に自分の学んでいたG柔流の
初期の練習は組み手、概念などを本で読みあさっていた…。



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おっ父の空手ヒス-高校生(1)

晴れて大分舞鶴高等学校に入学して空手同好会に入ったのだが…
色々と問題…が生じた…。

「おっ父の空手ヒス-小学生」に出たI君も
舞鶴に入学していたので、二人で口裏を合わせた…。

まず部活で黒帯を締めない…。
と言うのも黒帯を締めている三年生がいなかったので、
我々ならではの遠慮という感じだ…。

そして…今までN藤先輩と呼んでいたが、入学した瞬間N藤先生と、
呼ぶべきか否か…。

いや…呼ぶべきでしょ!!
しかし…しかし…こっぱずかしくて呼べない…。

ずっと町道場で見てた先輩だからね(^^;

と言う所から妥協点を探り「N藤さん」とI君と自分は
呼ぶ事にした…。

しかし…気が付けば、
空手同好会のみんなが「N藤さん」と呼び、
学年中に広がり、みんながN藤さんと呼び出したのは、
申し訳ないと思っていました…。

そして三年生が卒業する時、
しばらくして唯一の二年の先輩も辞めていった…。

実はこの先輩もJ武館本部道場の先輩だったけど…。
たま~~に来る、物静かな先輩で、我々を避けてる気もした…。

と言う事で、高校一年の時には、
上がいなくて自分の好きな様に練習してた…。

そんな高校2年の時、N藤さんは別の学校に赴任していった…。
大分舞鶴の空手同好会と我々を残し…(◎Д◎;)

指導員でもあったN藤さんがいなくなったので、
当然、誰が教える?って事になる…。

新しい顧問は少林寺拳法を知ってるが
空手は知らないとの事で、
I君と自分が基本を教えると言う事になり、
自主練に近いナーナーな空手部となった(^^;

しかし、そこは腐ってもJ武館本部道場の人間!

高2の時はI君が県大会で上位に食い込み、
九州大会、全国大会に出て、
高3の時は自分が九州大会、全国大会に出場した。

そして気が付けば…自分が3年の時は、
同好会でありながら大所帯の
クラブに成長していた
karatebu



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おっ父の空手ヒス-中学生

中学一年の時に黒帯を頂いた…。
だが以降…中学の時は惰性で道場に通っていたような気がする…。

中学でクラブに入らなかったわけでは無い…。
軟式のテニス部に入っていたのだが、
あまりのホームランバッターぶりに嫌気がさし、
一年経たずして帰宅部になった…。

でも空手だけは長く続いてるなと、
我ながらに思ったのが中三の頃だった…。

空手の町道場で少年の部と言われるのは中学までで、
少年部の最年長である中学三年で黒帯を締め、
この道場に練習に来ていたのは、
「おっ父の空手ヒス-小学生」に出たI君と
自分の二人だけだった…。

そして中学三年の夏、道場の先輩であるN藤先輩に、
「どこの高校に行くか決めてなかったら、
大分舞鶴高校で空手をしないか?」と
お誘いを受けた…。

しかし…大分の人なら分かると思うが、
大分舞鶴高等学校は大分市でも有数の進学校で有り、
行きたいと言って簡単に行ける高校では無い…( ˇ_ˇ; )

当時の自分からは高嶺の花と言って良かった…。

だがココで…大ニュースとして奇跡が起こった。

他県の人には考えられないと思うが、
当時の入試は、大分の普通科の県立高校が、
AグループとBグループに分けられていた。

そして大分で有数な公立の進学校である、
大分舞鶴と他一校(笑)はAグループに入ってたため、
Aグループの方が倍率が高いと言われていた…。

はっきり数は覚えていないが、
Aグループに所属した高校はBグループより多いので
募集人数がAグループは多いと言う所もあるだろう…。

しかし蓋を開けると、
想定以上にBグループに志願者がながれ、
Aグループは定員割れするかしないかの
志願者数だった様な…
(※うろ覚えです)

とにかく、Aを志願していた自分はギリギリ合格した(^^;

問題は、Aグループのどこの高校に振り分けられるか…。

常識なら希望を取って、成績順に振り分けていくのだが、
当時は希望関係無しに振り分けた…。

つまり、恐らくギリギリAグループに合格しても、
成績優秀者が有数な進学校を選ぶと思うので、
自分が選べるのは下の高校のはずだが…

入りました…大分舞鶴に…
奇跡です…(^^;

しかし、この入試が大分を揺るがすニュースになる…。
成績上位でAグループに合格したであろう人が、
市内の端っこにある様な僻地に通わされた人が、
騒ぎ出し、翌年からルールが改正されたはず…。

まあ成績の底値を突いた入学だったために、
我々の代は大分舞鶴史上、最低の成績と呼ばれる…。

まあ、とりあえず高校ではビッチリと三年間、
空手をやる事になります。



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おっ父の空手ヒス-小学生

自分が空手を始めたのが小学一年生の夏…。

近所の友達3人で日本4大流派の一つ…G柔流の門を叩いた。

お袋に「なんで俺は空手を始める事になったの?」と問うと、
「あんたがみんなと一緒に空手やりたいって言ってたやんか!」
と言われるくらい、やり始めたきっかけは覚えていない…。

しかし、ジャッキーチェンやブルースリーが好きで
おんなじ映画を繰り返し見て「この前もこの映画見てたじゃ無い!」
と言われるくらいTVで映画があるとかじりついていたのは間違いない…。

友達3人で通ったのは大分駅から歩いてチョットのJ武館本部道場…。
本部道場と呼ばれるだけあり鶴崎や富士見ほか支部が幾つかあり、
大分の空手の中心だった様な覚えがある…。

師は全日本空手連盟の大分県会長を何年も勤め上げ、
後の全日本空手道連盟G柔会会長になった故・M利師範…。

そしてこの師範の本業は歯医者で、
全日本歯科医師会でも名前を知られるくらい有名な先生だった…。

小学生時分、友達と空手の練習に行くのが楽しかった♪

昇級審査があると、誰が最初に名前を呼ばれるかを競い合った…。
最初に名前を呼ばれたモノから順番に並んで座る…。
それが我々の中の暗黙の了解だった…。

そうしているウチに一人道場を去り、
長い事二人でどっちが上か張り合ってたものだ…。

ちなみにそんな我々二人とは別に、
I君と言う同い年の道場生が一人居た…。

I君は我々より一年早く入門していたので、
同い年だが我々よりも一歩前を歩んでいる先輩になるのだが、
彼は現・大分県チームを引っ張る監督として活躍している…。

ちなみに、今年の長崎国体は4位だったが、
国体で優勝させた事もある優秀な指導員なのがスゴイ…。

そんな優秀な彼とは別に、我々の空手は気合いも入っておらず、
親父やお袋に「空手踊り」とからかわれたものだ…。

そして小学6年になった頃、
遂に昇級審査から昇段審査のチャンスが来た!!

黒帯を取った時の順番はどちらが上か!!

そんなある日…学校の体力測定で短距離を走った時、
ゴールで変なコケ方をしてしまった…。

体育の先生が今のは変なコケ方だったが大丈夫か?と
飛んできたのだが、結果は鎖骨が折れていた…。

そして自分は昇段審査を受ける事が出来なくなり、
彼が先に黒帯を締めると言う悔しい結果となった…。

黒帯を取得した後、彼は空手を止めてしまったが、
自分はその後も一人で道場に通い続け、
遅れて黒帯を貰った…

後日、二十歳を過ぎてM利師範とそんな話をしたのだが、
M利師範から衝撃の一言が!!

「アレは、昇段審査を受ける旨の名簿表に
 名前を書いた順じゃなかったかな~」

「え~!!空手の上手い順じゃ無かったのですか?!?」

僕にとって小学生時代ははそんなヘニャヘニャな時代だった(^^;



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