中学一年の時に黒帯を頂いた…。
だが以降…中学の時は惰性で道場に通っていたような気がする…。
中学でクラブに入らなかったわけでは無い…。
軟式のテニス部に入っていたのだが、
あまりのホームランバッターぶりに嫌気がさし、
一年経たずして帰宅部になった…。
でも空手だけは長く続いてるなと、
我ながらに思ったのが中三の頃だった…。
空手の町道場で少年の部と言われるのは中学までで、
少年部の最年長である中学三年で黒帯を締め、
この道場に練習に来ていたのは、
「おっ父の空手ヒス-小学生」に出たI君と
自分の二人だけだった…。
そして中学三年の夏、道場の先輩であるN藤先輩に、
「どこの高校に行くか決めてなかったら、
大分舞鶴高校で空手をしないか?」と
お誘いを受けた…。
しかし…大分の人なら分かると思うが、
大分舞鶴高等学校は大分市でも有数の進学校で有り、
行きたいと言って簡単に行ける高校では無い…( ˇ_ˇ; )
当時の自分からは高嶺の花と言って良かった…。
だがココで…大ニュースとして奇跡が起こった。
他県の人には考えられないと思うが、
当時の入試は、大分の普通科の県立高校が、
AグループとBグループに分けられていた。
そして大分で有数な公立の進学校である、
大分舞鶴と他一校(笑)はAグループに入ってたため、
Aグループの方が倍率が高いと言われていた…。
はっきり数は覚えていないが、
Aグループに所属した高校はBグループより多いので
募集人数がAグループは多いと言う所もあるだろう…。
しかし蓋を開けると、
想定以上にBグループに志願者がながれ、
Aグループは定員割れするかしないかの
志願者数だった様な…
(※うろ覚えです)
とにかく、Aを志願していた自分はギリギリ合格した(^^;
問題は、Aグループのどこの高校に振り分けられるか…。
常識なら希望を取って、成績順に振り分けていくのだが、
当時は希望関係無しに振り分けた…。
つまり、恐らくギリギリAグループに合格しても、
成績優秀者が有数な進学校を選ぶと思うので、
自分が選べるのは下の高校のはずだが…
入りました…大分舞鶴に…
奇跡です…(^^;
しかし、この入試が大分を揺るがすニュースになる…。
成績上位でAグループに合格したであろう人が、
市内の端っこにある様な僻地に通わされた人が、
騒ぎ出し、翌年からルールが改正されたはず…。
まあ成績の底値を突いた入学だったために、
我々の代は大分舞鶴史上、最低の成績と呼ばれる…。
まあ、とりあえず高校ではビッチリと三年間、
空手をやる事になります。
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